東京沖縄県人会とは

沿革

東京沖縄県人会は昭和31(1956)年に結成されましたが、当時沖縄現地はもとより本土においても沖縄の日本復帰、土地の強制収用反対運動が高まっていました。そのような社会情勢を背景に結成された東京沖縄県人会は、親睦を第一とする他府県の県人会とは設立の理念、目的が大きく異なっていました。その後、沖縄が復帰するまでの10数年間、東京沖縄県人会は沖縄現地の活動と連携して米政府および日本政府、国会に陳情する運動を繰り返しました。

東京沖縄県人会の歩み

昭和31(1956)年9月 東京沖縄県人会結成
当時沖縄現地はもとより本土においても沖縄の日本復帰、土地の強制収用反対運動が高まっていました。そのような社会情勢を背景に結成された東京沖縄県人会は、親睦を第一とする他府県の県人会とは設立の理念、目的が大きく異なっていました。 その後、沖縄が復帰するまでの10数年間、東京沖縄県人会は沖縄現地の活動と連携して米政府および日本政府、国会に陳情する運動を繰り返しました。
昭和47(1972)年 沖縄は27年ぶりに日本へ復帰しましたが、膨大な軍事基地がそのまま残ったことで、東京沖縄県人会はその縮小撤去を活動方針の一つに掲げました。しかし県人会の活動自体は次第に親睦・交流にウェイトが置かれるようになりました。
昭和54(1979)年 念願であった機関紙『東京・沖縄の人』を創刊。その後、機関紙は『月刊・おきなわの声』と紙名を変えて発行を続け、平成20(2008)年7月には創刊30周年を祝うイベントを行いました。
昭和55(1980)年 「’80沖縄でーびる・第1回沖縄フェスティバル」を開催。熱気溢れる「沖縄デー」を実現しました。
昭和61(1986)年 東京沖縄県人会創立30周年に当り、『30周年記念誌』、『関東地区沖縄県出身者名簿』を刊行および、30周年記念文化祭「したいひゃあ沖縄」を開催
平成8(1996)年 東京沖縄県人会が関係諸団体とのネットワークを確立する上で記念すべき年となりました。1月に「関東沖縄関係団体協議会」が発足し、7月に「沖縄ファンクラブ」が設立され、平成8(1996)年10月、第1回「全国沖縄県人会交流会」開催
平成12(2000)年 関東地区の沖縄芸能団体との協力のもと「響け!沖縄芸能フェスティバル」開催。
以降「沖縄芸能フェスティバル2023」まで20年間以上継続開催
平成18(2006)年 東京沖縄県人会創立50周年を迎え、記念式典、シンポジウム、祝賀会を開催
平成20(2008)年 「50周年記念誌・おきなわの声を伝えて半世紀」を刊行。県人会員、機関紙購読者全員に無料配布。
平成24(2012)年7月 講師に上原勝則・沖縄県東京事務所長、川平朝清・東京沖縄県人会名誉会長を迎えて、沖縄復帰40年記念講演会を開催。
平成26(2015)年2月 「おきなわの声」創刊35周年を記念して佐藤優氏を迎えて講演会を開催。
平成28(2016)年11月26日 板橋区立文化会館で、創立60周年記念フォーラムと人間国宝を迎えて「沖縄芸能フェスティバル2016」を盛大に開催。
平成30(2018)年7月2日 東京沖縄県人連合会を設立して初代会長に東京沖縄県人会 仲松健雄会長が就任。
平成31(2019)年1月25日 ホテルニューオータニ芙蓉の間において「合同新春のつどい2019」を開催。
令和2(2020)年1月19日 ホテルニューオータニ芙蓉の間において「合同新春のつどい2020」を開催。
令和3(2021)年1月 「おきなわの声」タブロイド判からA4カラー版にリニューアル
令和4(2022)年 日本復帰50年記念「沖縄芸能フェスティバル2022」を国立劇場にて開催。
令和6年(2024)1月 「おきなわの声」創刊500号を出版
令和5 (2024)年4月 一般社団法人東京沖縄県人会として法人化

歴代会長紹介

初代会長 神山政良(1956-09 ~ 1975-07 : 18年10ヶ月)
2代会長 喜納浩(1975-07 ~ 1978-10 : 3年 3ヶ月)
会長代行 山城文盛(7ヶ月)
3代会長 新崎盛敏(1979-05 ~ 1989-11 : 10年 6ヶ月)
会長代行 山口國男(8ヶ月)
4代会長 山口國男(1990-07 ~ 1995-07 :5年 0ヶ月)
5代会長 竹田定雄(1995-07 ~ 2001-09 :6年 2ヶ月)
会長代行 仲田清祐(9ヶ月)
6代会長 仲田清祐(2002-06 ~ 2007-05 :4年11ヶ月)
7代会長 川平朝清(2007-05 ~ 2012-03 :4年11ヶ月)
8代会長 渡久山長輝(2012-04 ~ 2015-04 :3年 0ヶ月)
9代会長 仲松健雄(2015-05 ~ )